■この記事のターゲット
・どんなキッカケでパニック障害になったのか体験談を知りたい人
・パニック発作が初めて起こった時の状況の体験談を知りたい人
今現在もパニック障害で悩んでいる人は多い
厚生労働省の調査では2014年のパニック障害受診者は約7万人というデータがありますが、受診していない人も含めるともっと多いのが現実でしょう。
「100人に1人」が一生に一度はかかるとも言われています。
有名人でもパニック障害を告白された方も多いです。
(安西ひろこさん、大場久美子さん、「中川家」の中川剛さんなどが有名ですね)
僕も過去に「パニック障害」というメンタル疾患を発症し1年ほど心療内科に通院し完治した経験があります。
パニック障害の発症は自分の周りの大きな環境変化(就職、転職、昇進、親や大切な人の死、結婚や離婚など)によるストレスがきっかけとなるケースが多いと言われています。
いろんなケースが考えられるが、発症までの背景や発症のきっかけ、その時の心理状態というものを知っておくだけでも「知らないことへの不安への免疫」ができ、メンタル疾患への耐性があがると考えます。
今回の記事では、僕自身の体験談として「パニック障害発症のキッカケ」と思われる出来事を紹介します。
そのキッカケとは
仲の良かった会社の先輩の他界
でした。
パニック障害が発症する前の状況
前置きが長いので、興味のない人は次の項まで読み飛ばしてください。
発症前、当時僕は25歳でした。
田舎の工業高等専門学校を卒業し地元を離れて4年ほどエンジニアとして会社勤めをしていたのですが、実家のゴタゴタの事情により地元へ戻る決意をし、地元企業へ転職し1年ほど経過していた時のことです。
当然初めての転職で精神的にストレスはかかっていたのだろうが、自分で言うのも何だが持ち前のマジメでそこそこ明るい性格のおかげで周りの人のサポートにもめぐまれ、エンジニアとしてそれなりに充実した社会人生活を送っていました。
会社の先輩で村田さん(仮名)という人がいた。筆者の9歳上で、とても明るく豪快でゴルフとお酒が大好きな所属部署のアニキ的な存在でした。
村田さんは平日でも頻繁に外へ飲みに出かけて「若いおねえちゃん」がいるスナック通いをするのだが、毎回後輩を誘って大人数で行くのです。

僕は飲み会は嫌いではなく村田さんのことも嫌いではなかったが、当時の僕はお金もないし、若いおねえちゃんのいる店で高いお金払って見返りの薄いコミュニケーションをとることが好きではなかった。
それでも最初のほうは付いて行っていたが、度重なるお金の出費とスナックでのおねえちゃんの営業トークへの対応に次第にストレスを溜めるようになっていったのでした。
会社でのある日、いつものように村田さんから
「おい。今日も飲みに行くで!」
との誘いがあった。
その時ストレスがあるレベルを超えた未熟な僕は
「仕事でもないのに、会社が終わってからも頻繁に会社の人と一緒に居たくないですよ!」
と冷たく断ってしまったのです。
「おぉ、そうか・・・」
と言う村田さんの少しびっくりしたあとの寂しそうな顔は今も忘れることができません。
僕は村田さんを敬遠するようになり、飲み会の誘いを断るようになった。
それでも村田さんは仕事ではいつも通り接してくれ、飲み会の誘いは無くなったわけではなかったが、少し気をつかって声をかけてくるようになった。
そんな日々が続いたある日、別の先輩と長く話すきっかけがあったのだが、そのとき先輩から
「あんまり村田さんのこと悪く思わんでやってくれ。村田さんはああいう性格だけど、お前が中途入社で入ってきて緊張しているのを見て、早くいろんな人と仲良くなって楽しく仕事ができるようにと特に頻繁に声をかけてくれてるんだ。その気持ちも察してやってくれ。」
といつもチャラチャラしていた先輩がマジメな顔して、でも穏やかに話してくれました。
たしかに村田さんはいつも僕に声をかけてくれ、仕事の上でも引っ張ってくれる存在でした。
それに甘えっぱなしで過ごしてきた僕にはそれが当たり前のようになってしまい、村田さんの尊敬するべき振る舞いが見えなくなっていたのに気づかされたのです。
反省したことは「きっちりけじめつけたい」タイプの僕は、そのあと村田さんに
「今までさんざんお世話になっていたのに、冷たい態度とるようになってすみませんでした!
これからも飲み会誘ってください。行きたくないときは行きませんけど!」
と、わざわざ言う必要もないことを告げて頭を下げました(筆者はこういうタイプなのです)。
村田さんは、いつもの笑顔で
「わかった」
とこたえてくれました。
それからは一緒にゴルフの打ちっぱなしやバーベキュー、飲み会も頻繁に行くようになりました。
家庭のことや仕事のこと、いろんなことでアドバイスをもらいました。
本当に尊敬できる先輩であったことは間違いありません。
この反省から数か月経ったある朝、村田さんは突然亡くなられました。
心不全でした。寝てそのまま亡くなっていたそうです。
まだ30代前半でした。
無くなる前の晩に深夜残業終わりで「また飲みに行こうな!」と、いつものように別れた次の日のことでした。
突然のパニック障害発症のキッカケは身近な先輩の突然死
僕のパニック障害発症のきっかけは、身近な先輩の死でした。

先輩が亡くなってからしばらくは、
自分も寝たあとそのまま二度と目が覚めないんじゃないだろうか
という不安と死の恐怖が常に頭の中を覆うようになった。
そんな状況でのある日、家でお風呂に入っていた時でした。
ちょっと足が痺れるような体の異変を感じ、それと同時になぜか心拍数があがっていったのです。
今思えば何でもないことなのかもしれないが、この時はこう思ってしまったのです。
「先輩も亡くなった時はこういう状況だったのではないか」
そこからはあっという間でした。
心拍数はどんどん上昇し、手足は痺れ、頭の中は真っ白というか死の恐怖で支配されてしばらく動けなくなってしまいました。
動けるようになったタイミングで風呂から上がり、上ずる声で兄に連絡して夜間救急外来へ連れて行ってもらいました。
受付に行くと
「今、患者さん多くてしばらく待ってもらいます。」
と言われたが、こちとら命の危険を感じている状況なのでさらなる心拍数上昇と呼吸困難を伴いながら会話を続けていると割と早めに診察室に通してくれました。
(今思えば他の深刻な状態の患者さんに申し訳ない・・・)
いろいろ検査した結果、
「特に問題ないです。」
とのこと。
ここからしばらくは、自分の体に起こったことへの不安と死の恐怖と自分を見つめなおす日々となるのでした。
それはまた別の記事にて。
僕のパニック障害発症のキッカケを自己分析
僕の場合「先輩の他界」という環境変化のストレスと「自分の命への不安」という思い込みを重ねてしまったことで、脳内で過剰な防衛反応が起こり、神経伝達物質の分泌バランスが大きく狂ったのではないかと今になって思います。
これは自分に自信がない、消極的な人などに起こりやすいなどと言われてますが、誰にでも起こる可能性はあると考えています。
パニック障害を克服してからというもの、精神状態について自己分析したりするようになりました。
メンタル疾患の原因はいろいろな説があると思いますが、環境の変化や外部からの情報を自分の脳内でどう受け止めるかということが本質かもしれないと今は思います。
様々なケースで苦しむ方たちがいる中で安易な発言をしているつもりではないですが、メンタル疾患は苦しいが、乗り越えると大きく成長できる機会と思ってじっくり向き合うような気持ちで臨めるとよいのではないでしょうか。
ま、なるようにしかならんわ
という開き直りの気持ちと
自分に起こったことへの分析
を心掛けるようにすれば冷静に対処できる。
そのためにも知識や経験を積む努力をして、新たな気づきを産む想像力を養ってみるものいいと思いますよ。
大丈夫、きっといい方向に進みます。開けない夜はないですよ!
おわり
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