- この記事を読んでほしい人
- ・品質保証の仕事は優秀な人でないと務まらないのか?
・品質保証の仕事は凡人には向いていないのか?
・天才は品質保証部に必要なのか?
育児や仕事のことで悩んでいた時、ふと「天才を殺す凡人 なぜ才能はつぶされてしまうのか?」という本のことを思い出しました。
「天才」・「秀才」・「凡人」
多くの人が、人間の能力的な部分をおおざっぱにカテゴライズしますよね。
カテゴリー | 特性 | 人口比率 |
---|---|---|
天才 | 創造性 (0→1を産み出す) | 少ない |
秀才 | 再現性 (1→10の仕組を作る) | 少ない |
凡人 | 拡張性 (10→100に拡大していく) | 最も多い |
前述の本の中で述べられている、これら3つのカテゴリーの特徴を超カンタンにまとめると上記のような感じで、僕としては本の内容について「ほとんど同意できるなぁ」と思っていました。
今回の記事を書こうと思ったキッカケは、
品質保証の仕事が向いているのは「天才」なのか「秀才」なのか「凡人」なのか?
という疑問がなんとなく湧いたからです。
「これが正解!」と言えるものではないのは承知の上ですが、20年以上製造業で開発や品質保証の業務に従事した僕の経験をベースに、あえて個人の見解を述べてみようというのが今回の趣旨。
【参考書籍】
著者のブログでも書籍と同等の内容が公開されています。
(凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から「天才」を守るか?)
さて、先に結論から。
品質保証の仕事に向いているのは「秀才」と「共感力が高い凡人」
というのが僕の見解です。
以降で詳細を説明します。
この記事が品質保証業務との向き合い方を違った視点で考えるキッカケとなり、自己成長につながることになれば幸いです。
「天才」と「秀才」と「凡人」について
ここでは、参照記事凡人は天才を殺すのか?を引用して「天才」と「秀才」および「凡人」について明確にしておきたいと思います。
■天才について
・0→1を産み出す創造者(クリエイター)
・常識から外れた感覚、考え方を持つ(マイノリティである)
・ある特定の分野での突出した能力を持つ、
・空気を読む、あいまいなままにしておくなどが苦手
・多くの人から変人扱い・批判を受ける傾向にある
■秀才について
・再現性を高められる合理的な人
・世間一般で言う、いわゆる優等生
・知識量、論理的思考力、合理的判断のスピード、予測能力などで平均より数段高いモノを持っている人
■凡人について
・大多数の人が当てはまるカテゴリー。
・知識量、論理的思考力、合理的判断のスピード、予測能力などで平均的かそれ以下の人。
・人口割合は最も大きいため、団結すれば最も強大な力を持つ層。共感力が高い人が発生しやすい層でもある
■天才と秀才と凡人の関係性について
ここは参考程度に。
上の図の三者の関係を簡単に説明すると、以下のような感じです。
天才は、
凡人に自分を理解してほしい、秀才には興味がない(眼中にない)
変人扱いする多数の凡人に自分を受け入れてほしい
秀才は、
天才に憧れや嫉妬の気持ちをもち、凡人に対しては軽蔑の気持ちを持つ
天才の「0→1を産み出すクリエイターの能力」に対して尊敬と嫉妬の念を持つ
凡人に対しては、努力すれば自分と同じようになれるのに努力をしない人間だとレッテルを貼る傾向にある
凡人は、
天才に対して集団の和を乱す異質な存在として嫌う
秀才の人を天才だと思っている
ちなみにそういう僕自身のタイプはどれなのか?と考えてみると「共感力が高い凡人」というのが自己評価ですね。
ということで、僕自身は品質保証の仕事は割と向いてるんじゃないかなぁ~と思ってます。
品質保証に向いているタイプは「秀才」と「共感力が高い凡人」の理由
ここからは、冒頭で述べた僕の見解である
品質保証の仕事に向いているタイプは「秀才」と「共感力の高い凡人」
について理由を述べていきます。
まず、「天才」を入れていない理由から述べましょう。
天才とは、0から1を産み出す創造者(クリエイター)です。
品質保証の仕事にクリエイターが不要とは言いませんが、誰もが想像しない新しい仕組や発想が必要な業務とも思いません。
なぜなら、品質保証の仕事は主に下記2つが求められると考えているからです。
- 組織のルール作りやルールの遵守状況監視、論理的思考や統計的手法による問題解決
- 多くの部門とのコミュニケーションを取り、品質をマネジメントする(予防、再発防止のため)
つまり、
「多くの人が継続可能な仕組を作る能力(=再現性を高める)」
「他者の立場に立って考え、協力させることができる能力(共感する、共感してもらえる)」
が必要ということ。
誰もがアッと驚くような変革のニーズを「品質保証」とい分野から私は感じませんし、これまでの歴史の中でも品質保証の仕事を根本から変えるような変革的な出来事もなかったんじゃないでしょうか。
天才は、多くの一般人からは想像もつかない、または共感しがたい価値観で物事を考えています。
ゆえに、
革新的なモノを産み出す確率が高い反面、浮世離れした言動をすることで周囲から反発をうけやすくもあるのです。
ちなみに、天才と分類される人は、多くの人から批判されたり、奇異の目を浴びたりしている特徴があるので、天才を測る尺度として「批判の量や大きさ」で見てみるといいそうです。
話を戻すと、
このような「天才」が持つ宿命のようなものは、品質保証の仕事においては不利に働くと考えるのが妥当ではないでしょうか。
そんなミスマッチを起こすくらいなら、0→1(無から新しいもの)を産み出すことが求められる部門、たとえば
・研究関係
・製品開発や技術開発
・新規事業開発
のようなクリエイティビティ(創造性)が求められる部門で、持てるチカラを発揮してもらうのが組織としてベストでしょう。
極端な話、10回の挑戦(トライ)で9回失敗しても1回大きな成果をつかめばヨシの世界です。
一方、品質保証の仕事では10回中9回失敗するわけにはいきません。
失敗しない仕組を作り、その状態を維持できる「再現性の高さ」が求められる仕事です。
以上のことから、品質保証の仕事には「天才は不適当」、「秀才は適当」という結論に至るわけです。
次に、「秀才」と品質保証の仕事について考えてみましょう。
秀才は再現性を高められるタイプ(合理性を求める)であるとされています。
品質保証の仕事において、「再現性を高めること」とは
誰がやってもほぼ同じような結果が出るような仕組みをつくること
と僕は考えています。
大まかにいうと、
業務フローを構築し、マニュアル化し、監視・測定する仕組みを開発部門や製造部門や自部門などに展開し、根付かせていくことです。
そして、その過程でフィードバックを受けながら持続可能な仕組みとなるように最適化を図ること。
法や一般常識、科学を重んじ、己を磨くための努力を惜しまなかった結果、多くの分野で高い能力を発揮して行動できる、総合能力の高い「秀才」こそ、再現性を高める(≒質を高める)仕組みづくりに適していると僕は考えます。
では、品質保証部門に秀才ばかり集めればいいのか?となりますが、残念ながら多くの組織で「秀才」の人口比率は「凡人」より低いでしょう。
コストをかけてエリートばかり集めた組織はその限りではないかもしれませんが、現実は品質保証部門に一般的に「能力が高い」と言われる人ばかりを集められない組織が大半ではないでしょうか。
どの部門にも「秀才」はなくてはならない存在だと思いますが、仕組を作る人間は少数いれば大丈夫です。
仕組(≒質)さえ作ってしまえば、あとは「凡人」の数のチカラ(量)でその仕組に従って監視・測定してもらい、大量のフィードバックをしてもらえるように動いてもらえばいいのです。
秀才が作った「仕組」という大義名分で個人にかかる責任の重さを軽減し、業務を細分化して複雑さを回避することで個人の能力への依存を減らし、多くの人のチカラで仕組を維持・発展させていくイメージ。
カンタンに例えると
天才がトロッコとレールを発明し、
↓
秀才が目的地までの効率的なレール敷設方法や維持管理する仕組みを作って事業として発展させ、
↓
たくさんの凡人が汗水流してトロッコを押して、多くの荷物や人員を目的地まで輸送して成果を出す
そんな三位一体のイメージですかね。
※僕は、品質保証の仕事にはトロッコやレールの発明は必須ではないという考え
最後に「凡人」について。
品質保証の仕事は、凡人には向いてないのか?と言われると、そんなことはありません。
では、
秀才の決めた通り働ければそれでいいのか?と言われると、それが苦でなければ向いてるし、苦であれば向いてないと思います。
要するに、自分自身がどういうタイプか次第ですね。
苦であれば、苦にならないようにアプローチの仕方を変えて仕事に取り組んでみるか、品質保証とは別の道を探ってみるのもいいと思います。
もしかしたら別の分野では、あなたは「天才」かもしれないし、「秀才」かもしれません。
ただ、凡人の中でも「共感力がかなり高い人」は品質保証の仕事に向いているんじゃないか…
というのが僕の考えです。
僕自身、過去の記事でも述べている通り、品質保証の仕事は「関連部門のハブになるとよい」と主張しています。
他の人や組織の立場になって改善を提案してあげられる人間も、組織全体のパフォーマンスを最大化するために貴重な人材だと考えます。
この共感力が高い人間は、「凡人」の中にこそ生まれやすいのではないかと。
そう思う理由は、以下です。
・人数の多い集団を形成しやすい(同じような価値観、能力の人口割合が多いから)
・自分より能力の高い人、低い人の価値観を理解しやすい中間ポジションだから
・集団のために何か役に立ちたい、優位に立ちたいという潜在的な意識があるから
「天才」のような他の人にはない突出した能力を有している、または「秀才」のような多くの分野で平均以上の能力を持っている人は、集団で優位な立場を取りやすいでしょうが、平均あたりだと優位性が見出しにくい。
平均的な能力を持った人が多い大きな集団でく過ごしていく中で、コミュニケーション力の高さは人生を左右すると考えます。
特に、狭い国土で何万年以上も続いた農耕社会であった日本人は、突出した能力を持った者や組織の輪を乱す者を村八分にする特性が強まった人種と考えられています。(詳細は記事最後の参考書籍に譲ります)
太古より農耕民族は、集団からはみ出した者は物理的にも精神的にも生命の安全を脅かされる状況でした。
そうならないためには、
集団の和を保ちながらも、飛び出過ぎないように、足手まといにならないように自分の存在をアピールする立ち回りが必要。
このような環境的な要因が強く影響して、コミュニケーション能力が高い個体は凡人の中から生まれやすいと考えます。
書籍「天才を殺す凡人 なぜ才能はつぶされてしまうのか?」では、このコミュニケーション能力が高い個体を「共感の神」と呼んでいます。
天才、秀才、凡人のすべてのタイプをつなぐ、組織内での重要人物であるとされています。
様々な部門を品質の観点でマネジメントする品質保証の仕事にとっても、「共感の神」はうってつけの存在だと思うのです。
まとめ
ここまでの内容をまとめます。
■天才は品質保証の仕事は向いてない
クリエイティビティが求められる部門に行く方が社会のためになる
■秀才は、品質保証の仕事(再現性を高める仕事)に向いている
凡人を活用して利益の最大化ができる仕組を作る
■凡人は、共感力が高い凡人は品質保証の仕事にかなり向いている
ただし、決められたことをやるのが苦手な人は品質保証の仕事に向いてない
天才、秀才、凡人という切り口で自分の仕事を見直してみると、現状の困難を打破したり、新たなモチベーションになったりするかもしれません。
今回の記事で参考とした書籍を↓に紹介しておきます。子育てやビジネスへの視点としてもインプットしておいて損はないでしょう。
本記事のベースとなった書籍↓
遺伝や環境が能力に与える影響のエビデンスを解説している良著↓
おわり
コメント